Thank you! I love you!
ほら、またあの目に吸い込まれる。
別に意識してのことではない。それなのに彼はよくも悪くも人の目を引く。私のその例外ではなかった。
はじめはひたすら退屈な魔法史の授業に耳をかたむけて、羊皮紙にさらさらと走り書きをしていた。
しかし、気がついたときにはビンズ先生ののらりくらりした飽き飽きするような声から意識をはずして、彼のほうに目をやっているのだ。それも無意識のうちにだ。
重症だわこれは。と心の中でひそりとつぶやいた。そして軽く頬杖をついてまたつまらない魔法史の授業に耳を傾けた。
あの黒くてさらさらの髪の毛をこれでもかってくらい撫で回してぐしゃぐしゃにできるなら私は一日中失神してマダムポンフリーのお世話になってもいいと思った。
これを隣にいたメアリーに言おうかと思ったけれど、白い目で見られることは目に見えていたので言わずにそれはひっそりとしまいこまれた。
終業のベルがジリリリリとけたたましく教室中に響き、周りで机につっぷしていた生徒たちがいっせいに身を起こした。
私もびくりと体をこわばらせ、一瞬間をおいてから鞄にごちゃごちゃと羽ペンや羊皮紙や教科書をしまいこもうとした。
先程しまいこんだ言葉とは全く正反対に、がちゃがちゃ、ごそごそと盛大に音をたてながら。
メアリーはマクゴナガル先生に用事があるから先に行くね。といってさっさと教室を出て行ってしまっていた。
生徒たちが流れるようにドアからでていくのを見て、別に次の授業に急がなくてはいけないというわけでもないのに妙に焦ってしまい更に手元をがちゃがちゃいわせた。
急がなくてもいいのだけれど、一人で残っていて置いてけぼりを食ったみたいになるのは嫌だなあと思った。
だから、できる限り急いだつもりだったけれど、やはりスタートでつまずいてしまったので結局私はぽつんと一人だけ教室に取り残されてしまった。
はあ、と浅くためいきをついて荷物の整理を続けていたそのとき、こん、とひじで何かを押してしまった。気づいたときには時既に遅し。
インク瓶は机からたった今飛び出したところだった。ああ、きっとそれは床にたたきつけられて粉々になってインクが飛び散って、少しくすんだ色の床は真っ黒になってしまうんだろうな。
そうじめんどくさいなあ。と、いつもは働かない私の頭はそのときだけ、すばらしい回転のよさを見せ付けてくれた。お、すごいじゃん。と自画自賛してみた。
私は痛みを我慢するように目を細めてインク瓶の割れる音がするのを待ったけれど、それはいつになっても響きはしなかった。
そろそろと片目を開けるとそこには、私が憧れていたあの黒髪があった。これは夢かしら。私はついに立ったままでも眠れるようになったのだろうか。
頬を思いっきりつねって確かめるととても痛かったので、ああこれは現実なのだと認識した。
「おい、大丈夫か」
「う、あ、うん。だいじょうぶ、です」
「そっか。ほら、インク瓶。もう落とすなよ」
低くて心地よい私好みの声で彼は言った。ぽんっと軽くインク瓶を投げてよこしたので私はキャッチするために、無駄にわたわたしてしまった。
にかりと笑ったブラックはいつも通り格好良かった。ああ、この人が私を含めたたくさんの女の子を虜にしてしまうのはなぜなのだろう。
インク瓶落下の瞬間よりも頭が光速でフル回転したけれど、口から出た言葉はたったの一言だけだった。
「ありがとう」
彼は可愛い犬歯をのぞかせてまたにかりと笑った。まるで薄いピンク色した泥沼にずぶりと片足がまるごと飲み込まれたような感覚に陥った。